
最近、左手を挙げているアクリルスタンドを集めている。
booth.pm
きっかけは、以前僕が作った「江ノ電自転車ニキ」のアクリルスタンドだった。自転車に乗りながら、左手を高く挙げたあの姿。あるとき「これと似たポーズのアクリルスタンドって、ほかにもあるんじゃないか」と思って探してみたら、驚くほどたくさん見つかった。
作品も違う。キャラクターも違う。男性も女性もいる。それなのに、みんな左手を挙げている。
面白くなって、集め始めた。
そして僕は、完全におかしくなった。
フリマサイトや中古ショップでアクリルスタンドが並んでいると、顔を見るより先に左手を見るようになった。
左手が下がっている。次。
右手が上がっている。惜しい。次。
左手が上がっている。
買う。
もはやキャラクターを見ているとは言い難い。キラリと光るものに反射的に食いつくブルーギルと大差がない。僕にとってアクリルスタンド売り場は池であり、左手を挙げた透明な板はルアーだった。
それ自体は、今でも面白いと思っている。
作品やジャンルを横断して、「左手を挙げている」というただ一点だけで全く関係のないキャラクターたちが同じ棚に並ぶ。その光景には妙なおかしさがある。
でも最近、少し引っかかるようになった。
僕は、この人たちをちゃんと見ているんだろうか。
コミケで、左手を挙げたアクリルスタンドを見つけたことがある。
当然のようにテンションが上がった。「左手だ!」と思って買った。
でも、今になって考えると、そのとき目の前にはそれを作った方がいた。なぜこのキャラクターなのか。なぜこの衣装なのか。なぜこのポーズなのか。どういう思いで作ったのか。そもそもなんという作品のキャラなのか。
聞けることはいくらでもあったはずだ。
それなのに僕は、大した話もせず、「左手が上がっている」というだけで喜んで買って帰った。
かなり失礼なことをしたと思う。
アクリルスタンドの向こう側には、キャラクターがいる。作品がある。それを描いた人がいて、商品を企画した人がいて、場合によっては、そのポーズを選んだ理由がある。
実在人物なら、当然そこにはその人自身の人生がある。
なのに僕は、そのすべてを飛び越えて「左腕の角度」だけを見ていた。
そこで、これからは少し集め方を変えてみようと思う。
左手を挙げていることは、これからも収集の入口にする。
だって、それが面白くて始めた趣味なのだから、そこまで捨てたらただの反省会になってしまう。
でも、一体手に入れたら、その一体について少し知る。
この人は誰なのか。
どんな作品にいるのか。
なぜこのポーズなのか。
この手は誰に向けられているのか。
挨拶なのか。歓喜なのか。ファンサービスなのか。決めポーズなのか。それとも、本当にただ「なんとなく」なのか。
分からなければ、分からないままでいい。
大事なのは、左手を入口にして、その先を見ようとすることだと思う。
この考え方に至って、改めて原点である江ノ電自転車ニキのアクスタを見てみると、少し違って見えてくる。
あの左手も、最初から「江ノ電自転車ニキという有名なポーズ」として存在していたわけではない。
ある夜、一人の人間が、たくさんのカメラを見て、とっさに手を挙げた。
ほんの一瞬の身振りだった。
それが写真に残り、いろいろな人に見られ、いろいろな意味を与えられ、やがてアクリルスタンドになった。
僕はその一瞬をアクリル板に固定した。
だったら今度は、そのアクリルスタンドをきっかけに、ほかのアクリルスタンドに固定された「一瞬」についても考えてみたい。
同じように左手を挙げていても、その理由はきっと全部違う。
だからこれからは、
似たものを集めて、違いを知る。
そんな収集にしていきたい。
左手だけを見るのではなく、ちゃんと顔を見る。
できれば作品を見る。
作った人と会えるなら、話を聞く。
そうして一体ずつ、「なぜ、その左手は上がったのか」を記録していく。
とはいえ、これからもイベント会場で左手を高く掲げたアクリルスタンドが視界の端で光ったら、おそらく僕は反射的にそちらを向く。
ブルーギルはそう簡単には人間にならない。
でもせめて、ルアーに食いついたあとくらいは、その向こう側にあるものをちゃんと見てみようと思う。
それが、これからの僕のアクリルスタンド収集である。



